紫苑の追憶

「ここもやられたか……」

雪に覆われ廃墟と化した集落に二人の青年が立っていた。
一人は和泉《イズミ》という。少し長めの髪を一纏めにして、その顔にはまだあどけなさが残る。
もう一人は眉間から頬にかけて大きな傷があり、気難しそうな顔をしている。
廃墟を目にするや否や溜息と共に言葉を漏らしたのは、この気難しそうな東雲《シノノメ》という男。狩人の同業・後輩からは『シノ』と愛称で呼ばれていた。

「シノさん、どうします?」
「……転がってる遺体を埋葬する」
「ですよね……俺、掘る物探してきます」

廃屋へと駆けていく和泉を見送ると、眉間に深く皺を寄せながら東雲は地面に散らばる遺体を一つ所に集めていった。

この鬼ヶ島の平地には人が身を寄せ合う集落が点在する。
集落に住まう多くの者が都へ移住していったが、様々な事情により留まることしかできない者もいた。
東雲と和泉の訪れた集落も多くの者が都への移住を終えて、残った者達は鬼の餌食となったのだ。
鬼は人を捕食するが、その目的は人にとっての嗜好品に近い。腹を満たす必要はなく、満足したならその場で捨てる。そのため鬼に襲われた集落にはこうして食い散らかした跡が残るのだ。
多くの狩人はその残骸を捨て置くが、東雲という男はそれができない性質だった。

「付き合わせて悪いな」
「はは、もう慣れっこですよ」

埋葬を終え一息つくと、静かに雪が散り始めた。
ふと、東雲が小首を傾げる。

「……」
「鬼の気配も無いことですし、今日はもう戻りますか?」
「いや、ちょっと待て」

音がした、ような気がした。
何かを叩くような擦るような掠れた音。
和泉の言葉を手で遮り耳を澄ます。音がする先は比較的形を残した建物の中だ。
近づくとより鮮明に聞こえてくる。人の咳き込む音だ。

「ここか」

東雲はやや大きめの戸棚の前で立ち止まった。
この程度の大きさなら人一人隠れられる。そういう覚えがあった。
戸に手をかけ開いてやると、中には膝を折り、背を丸め、両手で口を覆う少女の姿があった。

「お、女の子!?」
「隠れて難を逃れたか、よく頑張った」

呆然とする和泉を他所に東雲は動けずにいる少女に手を差し伸べ、戸棚から出してやるが、少女の足の震えは止まらず立つこともままならないようだ。
東雲は一つ息を吐くと少女を軽々と両手で抱きかかえた。

「俺はこの子を都の門まで送る。お前は先に村へ戻り、隠岐さんに至急都へ来るよう伝えてくれ」
「わかりました……って、シノさんそれだと闘えないんじゃ。鬼に遭遇したらどうするんです!?」
「街道に出れば問題ない。余計な心配はいらん、さっさと行け」

顎で促された和泉は廃墟を後にし、彼とは逆方向へ、少女を抱えた東雲は歩き出した。
すると少女の白い手が東雲の襟をくいと引っ張った。
少女の顔を覗くと涙を湛えた瞳が不安を訴えていた。
その不安を彼はよく知っていた。

「父と、母は……?」
「残念だが……ここに生きている人間はお前ひとりだ」
「……」

「すまない」と、頭上から低く響く声に首を振る。
声もなく、少女の瞳から涙が零れ落ちた。
聞かずとも分かっていたこと、しかし聞かずにはいられなかった。
ほんの少しの望みを捨てきれず、口にした問いはきっと彼に入らぬ気を遣わせてしまったのだろう。彼女はその事に涙したのだ。

「お前は、自ら戸棚に隠れたのか?」
「……いいえ、母が、私を隠しました」

集落が鬼に襲われ、母親が少女を守るため戸棚に隠したこと。
戸棚の中で両親の悲鳴を聴いていたことを、彼女は淡々と語った。
「もういい」と、東雲は堪らず声を漏らした。
少女を憐れに思いながらも、しかし彼は内心ほっとした。
この子は己とは違う。愛されていたのだ。

その後は言葉を交わすこともなく、街道に出た東雲は都に向かい北東へと進んでいった。

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