新たな監視人を迎えた特務室は、その日、ひとまずの区切りを迎えていた。
顔合わせを終え、室長のリサと監視人のユアンはその場を離れる。
彼らが去った後のオフィスには、再び静けさが戻っていた。
「せんぱーい。自己紹介もまともにできないんですか?」
ヘレンは、一見ひとりになった室内で、倉庫に籠ったビリーに語りかけた。
すると、スピーカーが短くノイズを吐き、次いで落ち着いた低音が静かに空気を震わせる。
「お前にとやかく言われる筋合いはない。そっちこそ、若い子にデレデレと恥ずかしくないのか?」
「だってユアン君、可愛いじゃん?素直そうだし、良い子そうだし!――ていうか先輩。それ盗聴じゃないですか?」
プライバシーの侵害だ――と、どこで集音されているかは分からないが、ヘレンは適当に周囲の隙間を指さした。
「人聞きの悪いことを言うな。必要のある時にしか使ってない」
ビリーの答えに「ふーん」と、納得のいかない様子でヘレンはデスクに頬杖をついた。
オペレーターのヘレンとビリーは、日頃からことあるごとに、こうした小競り合いを繰り返している。
二人の付き合いは、意外にも浅い。初めて面識を持ったのは、リサが特務室を立ち上げた時だった。
それまで互いに顔も知らずにいたが、名前は知っていた。双方とも、セントラル・エリウズの局員の間では、それなりに有名だったからだ。あまり、良くない意味で――。
ヘレン・ギャレット。アップタウンに居住する彼女は、特務室に配属される以前、技術センターの末席にいた。
情報処理能力は高く評価され、将来を嘱望されるほどだった。しかし、彼女は「年下を男を見るとテンションが上がりすぎてしまう」という困った癖があった。本人は無邪気な“弟愛”のつもりだったが、距離感を誤った言動はやがてセクハラ騒動にまで発展し、その噂は局内に瞬く間に広がった。
センターを追い出されてしまったヘレンは、居場所を失ってしまった。
その後、技術を持て余していた彼女を、リサが特務室に引き入れたのだ。
一方、ビリー・ハーヴェイは、エリウズを代表する複合企業『ヴァリオン重工業』の跡取りとして生まれた。
十代の頃から自らの才覚で成果を挙げ、その名は業界内外に広く知られるようになる。将来を嘱望された彼だったが、本人は利益や成功にまるで興味を持たなかった。
そのうち、期待の視線と重圧に押し潰されるようになり、次第に人前に出ることを避けるようになっていく。弟に家業を譲ると、アップタウンのアパートに移り住み、セントラル・エリウズに入局した。
そこでも彼の行動は一貫性に欠けていた。監視人を志望したかと思えばすぐに撤回し、異動希望を繰り返し出し続ける。その様子に周囲も次第に手を引き、最後には自宅に引き籠るようになる。
そうして居場所を失いかけた彼に、手を差し伸べたのがリサだった。特務室への転属を打診されると、ビリーは「オフィスの倉庫に住み込むこと」を条件に、それを受け入れた。
そんな一癖も二癖もある、けれど優秀な人材を獲得したリサは、ある日、表に出たがらないビリーの首根っこを掴んで引きずり出した。
そしてオフィスで、彼とヘレンを引き合わせる。
顔と名前が一致した瞬間、二人は同時に顔をしかめた。
「こんな髭面の可愛くないジメ男と同じオペレーターって嘘ですよね!?」
「こんなデリカシーのないやつと同僚だなんて冗談じゃない!」
それぞれ激しく抗議するも、リサはこれを黙殺した。
彼女が二人を選んだのは、優秀だったから――それだけではない。
確たる理由がそこにはあった。
マザーは人に不信感を持っている。それは人の感情に傷ついたからだ。
挫折と喪失、痛みを知る者こそ、彼には必要だとリサは判断した。
そんな経緯で、この不揃いな特務室は始まったのだった。
頬杖をついたまま、ヘレンが口の中で飴玉を転がしていると、スピーカー越しにビリーが呟いた。
「……ユアンだったか。大丈夫だろうか、見たところ普通の子だったけど」
機械を通したかすれた声は、本心のままに頼りなく響く。
その心配を吹き飛ばすように、ヘレンは軽やかに応えた。
「大丈夫じゃないですか?」
だって、あの室長が選んだ子ですよ――と、彼女は笑いながら付け足した。
「確かに」
その言葉にビリーも失笑した。
絶対に上手くいくはずがないと思っていたこの顔ぶれも、いつの間にか一年が経とうとしている。
――そんな時間が過ぎたことに、彼自身が少し驚いていた。
はぐれ者だった自分たちを拾い上げ、まとめたリサの手腕に間違いはないと、二人は思った。
「ちゃーんとサポートしてあげなきゃですよ、先輩」
「お前は、余計なことをするなよ」
互いに軽口を叩くと、ヘレンはリュックを肩にかけ、軽い足取りでオフィスを後にした。
人が消え、暗くなった室内は静まり返る。その倉庫でビリーはひとり思案する。
「サポートか……」
薄暗い空間にホログラムモニターを展開する。
他人のために何ができるのか――。
ビリーはひとしきり考え込んだ後、今日という一日を終えた。
