Echo ≪Int: #004 – #005≫

Novel1

「前のマザーってどんな子だったの?」
 それは、ごく自然な疑問だった。
 
 特務室のオフィスでユアンとヘレンは話に花を咲かせていた。
 ユアンを監視人に推薦した理由をリサから聞いたヘレンは、その純粋な問いを当人に投げかけた。
「普通、マザーと関わることなんて滅多にないことでしょ?それが、一般人だったきみとお友達だなんて、お姉さん気になっちゃうな」
 そう言って、トレードマークの赤い眼鏡を指先で押し上げる。すかさず、「嫌なら無理して話さなくていいよ」と付け加えた。
 ユアンは少し考えてから、口を開く。
「……当時のセントラルの人たちからは、“問題児”って言われてたみたいですけど」
 彼自身も、出会ってすぐは“変な奴”だと思っていた。
 人懐っこくてよく笑う。誰からも好かれるような、天真爛漫な明るさを持っていた。けれど、突然妙なことを言いだしたり、強引だったり――。
「ああいうのを、マイペースって言うんだろうな……」
「ほんとに仲が良かったんだねえ」
 ユアンは目を細めて、思い出にひたるように話した。その横顔を見つめながら、ヘレンは「うんうん」と満面の笑みで頷いた。
「マイペースといえば、初めて会った時も――あ……」
 ふと、目に飛び込んできた姿に、ユアンは思わず動揺した。
「ずいぶん、楽しそうな話をしているね。僕にも聞かせてよ?」
 扉の前から、氷のような視線が注がれる。階段の上に立つマザーが、ゆっくりと歩を進めた。

 重い空気と沈黙に、ヘレンは必死に耐えながら向き合ったまま微動だにしない二人を交互に見やる。ユアンもマザーの出方を窺っている様子だった。
 ふと、マザーが口を開いた。
「君は、僕の前の人格を知っていたんだね。それも、友人だって?」
 ユアンが返答に困っていると、マザーはそのまま言葉を続けた。
「僕にそいつを求めたんだ?そのために近づいた――」
「違う!」
 顔を歪めながら、吐き捨てられた言葉をユアンは即座に否定する。
「僕が、ここに来たのは、確かにエリウ――マザーの、前の人格がきっかけだ。でも――君をエリウだと思ったことは、一度もない」
「……それを、どうやって信じろって?」
「――っ」
 ユアンは言葉に詰まる。心の内を証明するのは難しい。相手が機械であるマザーなら、なおさらだ。――でも。
「言葉では、信じられなくても……見て、その目で判断してほしい。決して君を裏切らない。僕は君のための監視人だ」
 今、思いつく限りの精いっぱいの誠意をマザーに送った。
 彼は、ほんの少し視線を逸らすと、ぽつりと言葉を零した。
「なら……二度と僕の前で、僕じゃない“ボク”の話はしないで」
 小さく、消え入りそうな声だった。
「……わかった」
「システムに負荷を感じる。先に休ませてもらうよ」
「うん……おやすみ、マザー」
 マザーは目を逸らしたまま、一度も振り返らずにこの場を去った。

「――ご……ごめん、ユアン君!」
 マザーの姿が見えなくなったのを確認すると、ヘレンは顔の前で手を合わせ、何度も頭を下げた。
「あたしのせいで、変な空気にさせちゃって……」
「ヘレンさんのせいじゃないですよ。僕もマザーがいることに気づいてなかったし。それに――」
 いずれは、話そうと思っていた。マザーは自分を相棒だと言ってくれたから。極力、隠し事はしたくなかった。
「こんな形になると想定外でしたけど……また、嫌われちゃったかな」
 深くため息をつき、肩を落としていると。ヘレンは眼鏡の端をとんとんと指先で叩いて言った。
「……それは、ないんじゃないかな」
 その言葉に、ユアンは小さく首をかしげた。
「ユアン君、気づいてない?マザーが面と向かって文句を言うの、きみにだけだよ」
「えっ?」
 続けて突き付けられた事実に、思わずのけ反る。ヘレンは更に言葉を続けた。
「今までの監視人とは、必要最低限で口もきかなかったし。あたしも、業務以外で話すことはほとんどないんだけどね。ずっと見てるとなんとなく分かるんだ。この子こういう子なんだって。よーく見てると、マザーも可愛いとこあるよー」
 ユアンは呆気にとられた。ヘレンのいつもの悪い癖といえばそうなのだが……。マザーを可愛いなどという彼女に、底知れない何かを感じた。
「ヘレンさんが、特務室に呼ばれた理由が初めて分かった気がします」
 自分でも、かなり失礼なことを言っているような気がしたが。彼女はそんなことも、気にするそぶりを見せない。
「おっ。いいねー。ようやくこのお姉さんのスゴさに気づいたってことだね?」
 ヘレンは得意げに鼻を鳴らす。そして、すかさずユアンの手を取ると――
「お姉ちゃんって、呼んでくれてもいいよ!」
「それは、遠慮します」
 その突拍子のない申し出に、ユアンは丁重に断りの言葉を返した。
 その後、二人はエリウではなく、今ここにいるマザーの話で盛り上がるのだった。