ユアンの家では引き続き、ハロルド医師とビリーによるジルの治療が行われていた。
彼らに後を任せたユアンとディアは階段を下り、リビングにあるテーブルの前に座っていた。張り詰めた空気の中、ユアンの母アニーが二人にあたたかいコーヒーをそっと差し出す。
「ありがとう、母さん」
母のやさしさが、胸に染みた。その隣で、ディアは出されたコーヒーを前に戸惑っている。それに気づいたユアンは、慌ててフォローしようとした、そのとき――
「ただいま」
不意にリビングの扉が開かれ、淡い銀髪の老年男性が入ってきた。
「あ……爺ちゃん」
彼はユアンの祖父だった。今朝からの仕事を終えて帰って来たのだ。
「おかえりなさい、お義父さん」
出迎えたアニーに荷物を渡すと、彼と様子を覗っていたディアの視線がぶつかった。
ユアンと同じ蒼い瞳が大きく見開かれる。
「こりゃあ、驚いた。アンドロイドか?」
祖父の一言にユアンは仰天した。
「爺ちゃん、わかるの?」
「そりゃあわかるさ。それにしても、こんな精巧な作り、マザー以外に見たことがない」
その言葉に、ユアンの心臓が跳ねた。
ユアンが生まれる前、祖父はセントラルの技術センターで働いていた。当時はマザーの姿もよく見ていたのだ。
「おっと、じろじろ見ちゃ嬢ちゃんに失礼だったか。悪いな」
「気にしてないわ」
ユアンの祖父が詫びを入れると、ディアは言葉通りなんでもない素振りで返した。
彼は、アニーに用意されたコーヒーを一口飲むと「それで……」と言葉を始めた。
「うちで面倒を見てほしいってのは、この嬢ちゃんのことか?」
祖父の問いに説明できる限りの範囲で、ディアとジルのこと――そして、現在の状況をユアンは説明した。
ユアンの予想に反して、祖父は驚くほど理解が早く、核心をついてきた。
「ふむ……ユアン。言えないってのは分かるが、隠すのは無理がある」
祖父は深く椅子に腰かけて腕を組み、その目を鋭く光らせた。
「嬢ちゃんは、ノーアから来た……十中八九マザーだろ。となると、お隣さんは潰れたか」
次々と言い当てられ、ユアンは絶句する。その様子を見て祖父は豪快に笑う。
「じじいを舐めてもらっちゃ困る。何年セントラルで技術屋やってたと思ってる……ま、隠してるってことは、やましい事情があるんだろうが――」
固唾をのんでいたユアンの目を、同じ色の瞳がまっすぐ射抜く。
「お前は、ちゃんと自分の意思で、それを選んだんだな?」
その問いに、ユアンは力強く頷いた。それを見て、祖父は軽く息を吐く。
「ならいい。孫を信じるのがじじいの仕事だ。協力してやるよ……アニーさんも、それでいいよな?」
「ええ、もちろん。私もユアンの母ですもの」
二人の懐の大きさに、ユアンは「ありがとう……」と、深く感謝しそっと胸をなでおろした。
しばらくすると、階段を下りてくる二つの足音が聞こえてくる。
ジルの治療を終えたハロルドとビリーが、リビングに顔を出した。
彼らを見たディアが瞬時に立ち上がり、ハロルド医師に駆け寄った。
「ジルは?」
「安静にしていれば大丈夫ですよ。目を覚ましたら、水分を飲ませてあげてください」
尚も不安の色を見せる彼女に、「命に別状はない」そう念を押す。ディアは頭を下げると、ジルの眠る二階へと足を向けた。
「この後の経過観察については、ビリーさんに方法を伝えてあります。僕は一度、診療所に戻りますね」
そうして、ハロルドはユアンの家を後にした。
疲れた様子のビリーがふと、ユアンの祖父の存在に気づく。
「あ、貴方は……?」
「おつかれさん。俺はユアンの祖父のマシューだ。孫が世話になってるな」
疲労でぼんやりするビリーの頭の中で、何かが引っ掛かった。
ユアンの姓はゴート、その祖父の名がマシュー。どこかで聴いたことがある気がした。
次の瞬間、ビリーはハッとした――が、不意にマシューに耳を引っ張られた。
「家族には内緒なんだ。言うなよ」
そう囁いて手を離すと、何事もなかったかのようにリビングを後にした。
マシュー・ゴート。それは、二十年前まで技術センターの長を務めていた者の名だった。
当時、彼は博士と呼ばれ、マザーのエラーによる大事故の後、監視人制度を提唱したその人だった。
「先輩?」
「い、いや。なんでもない……」
ユアンの声に意識を引き戻されると、ビリーは挙動不審に目を逸らした。
自らが立案した制度、その監視人を孫が務めている。どのような気分なのだろうかと不思議に思ったが、それより今向き合うべき問題に集中しようと意識を切り替えた。
「えっと……ユアン、俺はこのまま、ジルが目を覚ますまでここにいようと思う」
ご家族さえよければ……と付け加えると。傍で話を聞いていたアニーが、構わないとばかりににっこりと微笑んだ。
「君は先に帰って、現状をリサ達に共有してくれ。その後は監視人の職務に戻ってくれて構わない」
幸い、ビリーが受け持つ業務はユアンの家でも行える内容だ。今夜、泊まり込むことになっても明日の職務に支障はない。それも含めてリサに伝えるよう、ユアンに促した。
「分かりました。それじゃ、あとはよろしくお願いします」
そして、アニーと少しの母子の会話を交わした後、ユアンは静かに家を出た。
ユアンを見送った後、ビリーはジルが眠っているユアンの部屋に戻っていた。
静かに寝息を立てるジルの傍らに、ディアはそっと寄り添っている。
「さっきは、すまなかった」
ビリーは静かに声を掛けた。
あの時、ジルの怪我を見たビリーはとっさにディアを責めた。それは本心からの言葉だったが、彼女が見せた動揺もずっと心に引っ掛かっていた。
「謝る必要はないわ。私は、ジルの怪我を知っていて放置していた。それは事実だもの」
背中を向けたまま、ディアは淡々と応える。
「ジルを、死なせないためにここへ来たはずなのに……生命に関する情報を、どこかで落としてきてしまったのかしら」
ビリーは少し考えると、デスクの椅子に腰を下ろした。
沈黙ののち、再び口を開く
「ジルの体には、腹部の怪我のほかに、いくつもの傷跡があった」
切り裂いたような無数の傷跡と、背中には大きな火傷の跡。
ハロルド医師曰く、それらの傷跡は、ここ数年のものではないという。
「彼の過去に、何があったんだ?」
「……さあ。ジルは、私には過去を語りたがらないの。ただ、父親を殺したと言っていたわ」
その言葉に、ビリーは眉をひそめた。そんな彼に、ディアは一つ問いかけた。
「私たちのこと、ユアンからどこまで聞いたの?」
「……君たちが、ノーアを崩壊させたと」
「そう……」
再び静寂が流れる。
不意に、背中を向けていたディアが振り向いた。
そして彼女は、まだ誰にも伝えていない真実を語りだした。
