#001: Reboot

Novel1

 瘴気によって大気は汚染され、生命は世界からひとつ、またひとつと姿を消していった。
 まだ人が、かろうじて外で暮らすことができた時代。六人の賢者たちは、瘴気を浄化する機能を備えた六つの遮蔽都市を築き、その中心、地中深くにマザーコンピュータ〈ホーム〉を格納した。
 そのひとつ、エリウズ。
 高層ビルと商業施設が林立し、六都市の中でもとりわけ繁栄を遂げていた。
 都市の中心には、都市機能のすべてを統括する〈セントラル・エリウズ〉がそびえ立つ。
 その霜白の塔を、ひとりの青年が万感の思いで見つめていた。
「……遅くなってごめん。エリウ」
 彼の名は、ユアン・ゴート。
 ダウンタウン出身の、目立たぬ市民にすぎなかった。だが今日を境に、セントラル・エリウズの一員として新たな歩みを始めることになる。
 かけがえのない友との別れが、すべての始まりだった。
 その喪失が彼をこの場所へと向かわせ、二年の歳月を経て――ようやく、辿り着いたのだ。
 友の名を口にした彼の澄み渡る蒼の瞳には、かすかに涙の光が揺れていた。

 ふと、視線の先――エントランスの扉前に、懐かしい姿を見つける。
「リサさん……!?」
「お久しぶりです、ユアン」
 二年前の記憶と変わらぬ、凛とした声と仕草。――だがその微笑みには、以前よりもどこか柔らかさがあった。リサは駆け寄るユアンを穏やかに迎え入れた。
「内定者リストに貴方の名前を見つけたときは、驚きましたよ」
 真面目な口調もあの頃と変わらない。ただ、その優しい表情には、かすかに申し訳なさが滲んでいた。
「どうして、戻ってきたのですか?」
 その問いは当然だった。
 二年前、エリウの人格を初期化したあの日――ただ立ち尽くすユアンに、リサは声をかけてきた。
「どうか、ここで起きたことは忘れてください」
 エリウの奔放な行動を容認し、一般人であるユアンを巻き込んだこと。すべて、マザーを監視する立場である自分の過失だと、リサは深く頭を下げた。
 あの後ユアンは、悲しみに沈みながらも、彼女の言葉通り日常に戻ろうとした。
 ――けれど、できなかった。
「僕は……エリウが何を考えていたのか、知りたいんです」
 
 ベッドで蹲りながら、何度も自問した。
 ――なぜ、僕に初期化を頼んだのか。
 ――彼の言う“幸せ”とは、なんだったのか。
 ――どうして、僕だったのか。
 
 『キミはボクを理解してくれた』
 あの言葉を、ユアンは受け止めることができなかった。
 なにも、理解できていなかったから。

「知るために……エリウのこと、ちゃんと理解するために戻ってきました」
 まっすぐに、曇りのない瞳でそう告げる。ユアンは、続けてひとつの疑問を口にした。
「あの……ところで、どうして僕が“監視人”に?適正試験は不合格だったはずじゃ……」
「その話は、歩きながらにしましょう。オフィスへ案内します」
 リサは静かに頷き、エントランスの奥へと歩き出す。ユアンもそのあとに続いた。

「貴方を監視人に推薦したのは、私なのです」
 長く続く廊下を歩きながら、リサが静かに答えた。
「実は、新たに生成されたマザーの人格に、少々……難がありまして」
 その言葉に、ユアンの脳裏をかつての友の姿がよぎる。彼の性格も相当なものだったが、今度の“難”とはどういう意味なのか。ユアンは先を促すように視線を向けた。
「以前のエリウとはまるで正反対。彼は合理的で、効率を何より重んじます。そのために、人の心を置き去りにしてしまうことがあるのです」
 結果――監視人が定着せず、二年もの歳月が過ぎてしまったという。
「私がその役を担えればよかったのですが……今は管理職の身です」
「それで……どうして僕が?」
「上層部から監視人の選出を任されていたのですが、そのとき内定者リストに貴方の名前を見つけたのです」
 かつて、マザーと心を通わせた彼ならばとリサは掛け合い、適性については特例で不問となった。
「身体能力はさておき、貴方の機械技術は特筆すべきものがあります。それもあって、私の推薦は通りました。……忘れてくれと頼んだ身で、再度貴方を頼るのは、本当に心苦しいのですが」
「もう、あの頃のことは気にしないでください」
 リサは再び過去の言葉を思い出したように、申し訳なさそうに目を伏せる。その様子にユアンは柔らかく微笑み、ゆっくりと首を振った。
「僕は……エリウと出会ったことを、後悔したくないんです」
 ユアンは不合格通知を受け取ったあの日から、自分にはもうその資格はないと思っていた。
 だが――その判断を覆し、再び道を示してくれたのは、かつてと同じ人だった。
 奔放なマザーとの交流を託してくれたあの時と同じように、今回も彼女がその機会を与えてくれたのだ。
 ユアンは、それを偶然とは思えなかった。過去と今が繋がったような感覚。
 運命とさえ感じていた。
「むしろ……あの時も、今回も、感謝してるんです。こんなチャンス、二度とない」
 ユアンは立ち止まり、その手に力を込めて深々と頭を下げた。
「同じ立場として、今度こそ……よろしくお願いします!」
 その真っ直ぐな姿に、リサも思わず表情を緩める。
「こちらこそ」
 そう返して、彼女は小さく安堵の息を漏らした。
 
「ここが我々のオフィスです。扉のロックは、生体認証で解除されます」
 どうぞ、と促され、扉横のモニターに手首をかざした。
 高く短い電子音が鳴り、堅く重たい鉄の扉がスライドして開いていく。

 扉の先に広がっていたのは、簡素ながらも洗練された空間だった。
 入り口から一段下がった先にオフィスルームがあり、短い階段を下りると、中央に数人で囲めそうな円形のデスクが据えられていた。
 その真上には、無数のホログラムモニターが幾重にも重なるように展開され、天井の一角を覆っている。

「きみがユアン君?――ようこそ、特務室へ!」
 不意に声を掛けられ、ユアンは左右を見渡す。デスク脇のパーテーションから、女性が顔をのぞかせていた。
「室長から話は聞いてるよ。あたしはヘレン、よろしくね~」
 彼女はスッと距離を詰め、ユアンの手を取ると、その感触を楽しむように握手した。
「よろしくお願いします」
「かわいいねぇ。歳いくつ?」
「か、かわ……?今年、二十歳になりました」
「はたち! いいねぇ、若いって素晴らしいねぇ~」
「は、はあ……」
 にやけた顔で奇妙なテンションを見せるヘレンに、ユアンは戸惑いながらもなんとか応じていく。やがて彼女がスリーサイズを探り出そうとしたところで、見かねたリサが大きく咳払いした。
「ヘレン。そのくらいにしなさい。新人が引いてます」
注意の声に、ヘレンは間の抜けた返事をしながら、名残惜しげにユアンの手を放した。
 彼女の名はヘレン・ギャレット。デバッグやハッキングを得意とする優秀な機械オペレーターだが、『年下を男を見ると過剰な反応をしてしまう』という困った癖の持ち主でもある。
「彼女と、もう一人オペレーターがいるのですが……」
「ビリー先輩なら、いつも通り倉庫に引きこもってますよ」
「倉庫……?」
 ユアンが疑問を浮かべた直後、ジジ…とスピーカーからノイズが鳴り、やがて音声がクリアになっていく。
「全部聞いてるよ」
 低く落ち着いた男性の声だった。耳を澄ますユアンの隣で、リサが深いため息を吐く。
「ビリー……新人との顔合わせくらい、ちゃんと表に出てお願いします」
「これで十分」
「だめです」
 リサは声を重ねてぴしゃりと否定し、眉間に深く皴を刻んだ。
「ビリー先輩、対人恐怖症だから人と話すのが苦手なんだって」
 ヘレンがさらりと補足する。
 ビリー・ハーヴェイ。彼もまた優秀な機械オペレーターだが、ある事情から他人と対面することを極端に避けているという。
「あたしも、まともに会ったのは一度だけかな」
「そ、そうなんですか……」
 
 すると突然、『STOREROOM』と書かれた扉がスライド音を立てて開いた。中は暗く、奥の様子までは見えない。やがて、その闇の中から大柄な男が、ゆっくりと顔を覗かせた。パーカーのフードを目深にかぶり、額には玉のような汗が浮いている。
「ビ……ビリー……ハーヴェイ、だ。……よ、よろしく……」
 震えた声でそう名乗ると、彼は逃げるように身を翻し、再び暗がりへと姿を消した。扉が閉まり、呆気にとられたユアンは慌てて返事を返すも、それが届いたかは定かでない。
「室長~、あれで良いんですか~?」
「……良しとしましょう」
 リサは眉間を押さえ、頭が痛いとばかりに目を伏せた。
 
 こうしてユアンは、マザーの監視人としての第一歩を踏み出した。
 彼を迎えたのは、室長リサと、個性的なオペレーターのヘレンとビリー。
 少しばかり不安を覚えながらも、ユアンの信念は揺るがない。
 エリウを、自分を理解するために。すべては、ここから始まるのだ。