#021: Poisoned Desire

Novel1

 特務室のオフィスの中の一室、ビリーはその倉庫に居を構えている。
 元は簡素な物置部屋だったが、自費で行うならばとリサから許可を得て、生活に困らないように内装をリフォームしていた。
 カーテンを開け放つことで窓から陽光を取り込み、明かりの消された部屋を程よく照らしている。
 早朝から目を覚ましたものの、ビリーはデスクの椅子に座ったまま居眠りをしていた。人の目と朝にはめっぽう弱い、それがビリーの欠点だった。
 不意に、耳元で無線が鳴った。びくりと反応したビリーは寝ぼけ眼で咄嗟に応答する。
「な、なんだ……はい?」
「ビリー先輩、お休みのところすみません。ディアのメンテナンスの間、ジルを預かってほしくて」
 声でユアンだとわかったが、覚醒したばかりの脳には内容がなかなか入ってこない。
「僕は用事があるのでこれで失礼します」
 状況を呑み込む前に、ユアンは無線を切ってしまった。
 しかたなく、ぼんやりとした頭のままビリーは部屋の入口へ向かい、扉を開ける。
 すると、部屋の前にはジルが一人ぽつんと立っていた。

「ディアのメンテ中は、あんたのところで待つことになった」
 ジルから改めて事の次第を聞き、俺の都合などお構いなしだなと苦笑する。
 そして、小さくため息を吐くと、扉の前から動かないジルを部屋の中へと招き入れた。
 とはいえ、突然現れた客にもてなすものもない。そもそも、こんなところに客が来るなど想定したこともない。
「……とりあえず、適当にくつろいでてくれ。俺は明日からの業務チェックをしてるから」
 そう言って、ビリーが部屋の奥へ案内すると、ジルは目についたソファに深く腰を下ろした。その柔らかな背もたれに体を預けると、部屋の中を見回すように視線をゆっくりと動かしている。
 目を離しても大丈夫そうだと判断したビリーは、デスクに向かいモニターに触れながら作業を始めた。
 普段はありえない人の気配に、わずかな居心地の悪さを感じながら――。

 ふと、モニターの時刻表示を見ると午前十二時を過ぎていた。
 ソファーに座るジルはいつの間にか、どこからか取り出してきた本をパラパラとめくっている。
 現代において、本は専らモニターで読むのが一般的だ。紙の本は希少で、自分でもどこに置いていたかも忘れていたものがそこにあることに驚いた。
「昼食にするけど、何か食べるか?」
 そう聞くと、ジルは手に持っていた本を置いた。だが、返事はない。
 彼が何を考えているか掴めない。作れば口にするだろうかと、卵とベーコン、レタスを取り出し――そういえば、彼は肉が食べられないことを思いだした。ベーコンを冷蔵庫に戻すと、卵を軽い味付けで炒め、レタスは適度なサイズに毟ってサラダにした。味の好みがわからない。ひとまず保存してあるドレッシングを全て取り出し、皿にクロワッサンを盛る。最後にグラスに水を注いで、二人分の昼食がテーブルに並んだ。
「好きに食べな」
 食卓に招くと、ジルは席に着いた。だが、なかなか食べようとしない。
 警戒しているのだろうか。どうしたものかと、とりあえず自分から食事を始める。
 ビリーがクロワッサンを手に取り、一口分に千切って口に入れた。
 すると、ジルがおもむろに皿に盛られたパンに手を伸ばし、手にしたクロワッサンの端を齧った。
 ビリーがサラダにドレッシングをかけて口に運ぶと、それに続くようにジルも自分の前に置かれたサラダに手を付けた。
 (なるほど……?)
 ジルは先にビリーが食べるのを待っているように見えた。変なものが入ってないことを確かめる為か、もしくはただの遠慮なのか、真意は分からないが。
 (それなら、さっさと食べてしまおう)
 その後、ビリーは自分のペースで食事を進め、ジルはサラダを完食したものの、それ以外はひとくち口にするだけで残してしまった。
 (食べてくれただけ、良しとするか)
 ふと、ユアンの家で林檎を好んで食べていたことも思い出した。
 サラダにはドレッシングをかけない、より自然なものを好むと――ビリーはジルの好みを記憶に焼き付けた。
 洗い終えた食器を片付けると、ジルは再びソファに座り込み、ビリーは作業を再開した。
 
 やがて数時間が経過し、窓の外ではすっかり日が傾いていた。
 作業を終えたビリーは、凝り固まった筋肉を解すように肩を回す。
 ソファのジルに目を向けると、彼はソファの上で横になり、ひじ掛けを枕に眠っていた。
 それを横目に、ビリーはグラスの水で乾いた喉を潤した。
 不意に、掠れた声が耳に届く。
 (寝言か?)
 そっと近づくと、眠っているジルは眉を顰め、その額には汗が滲んでいる。
「……はっ……いや、だ……」
 うなされているのが一目でわかる。途切れ途切れに漏れ出す言葉は、ユアンの家で傷の痛みに喘いでいた時とよく似ていた。
「と……さん……」
 (父さん?)
 過去の夢を見ているのだろうか、ジルは何度も“とうさん”と繰り返している。
「……あっ……い、痛たい……やめ……とう……さ……」
「――っ!?」
 言葉が繋がった瞬間、ビリーの顔は一気に青ざめる。
 最初は父親に助けを求めているのだと思っていた。だが、これは違う。夢の中でジルを害しているのは父親だ。
 ビリーはジルの肩を強く揺さぶった。
「ジル、起きろ!目を覚ますんだ!」
 だが、ジルは目を覚まさない。悪夢に取り憑かれたように、うわ言が止まらない。
 眠っているとは思えないほど苦しみ藻掻く姿、耳を塞ぎたくなるような悲痛な声。
 これ以上、聞きたくなかった。
 ――無意識のうちに、ビリーはジルの口を、自らの口で塞いでいた。

 午後九時――。
 窓の外は静けさと暗闇に染まり、やがてディアがジルを迎えに来た。
「今日は急にごめんなさいね。また次もお願いできるかしら?」
「あ、ああ。構わない、けど……」
 歯切れの悪いビリーの様子をディアは不思議に思ったが、部屋の奥から出てきたジルが、足早にその場を去ろうとする。
「ジル、まって」
 その制止も聞かず、ジルがオフィスを立ち去ると、ディアもすぐに彼を追いかけていった。
 二人を見送り部屋に戻ると、閉じた扉を背にビリーは崩れ落ちる。
 (やってしまった……)
 大きく息を吐くと、頭を抱え込んだ。
 以前にもジルと唇を重ねたことはあった。だが、あの時は医療行為であって、今回は違う。
 目を覚まさせるなら、他にやり様はいくらでもあったはずだ。なのに――

 ジルが見ていた悪夢はおそらく父親からの虐待の過去だろう。彼の体中の傷跡、彼が父親を殺したという話とも繋がる。
 だが、ビリーは目に見える身体的虐待跡とは違う側面を感じ取っていた。うなされているジルの声はビリーの耳に妙に艶めかしく聞こえ、ビリーの胸の奥を熱で焦がした。
「最悪だ……」
 それは彼の父親への――あるいは自分へ向けた言葉なのか。自己嫌悪と、罪悪感が煙をあげて燻り続ける。
 ジルとはじめて会ったあの日から、ずっと彼のことばかり考えていたことに、ビリーはようやく気が付いた。