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Novel1

 マザーの巡回先は、ほとんどが定型の施設だ。
 日々の小さなシステム不具合なら人の手で対処できるが、大規模施設――特に複雑な機器が絡む現場は、セントラル・ノーアに依頼が出される。そこからさらに精査され、対応困難と判断された案件が、僕のところへ回ってくる。
 
 今回訪れるのは、都市にとって欠かせない機関――廃棄再生処理センターだ。
 可燃物の焼却に加え、再生可能な廃棄物の分別と分解を担っている。かつては不要になったオートマトンを外界へ廃棄するダストシュートが設けられていたが、今では厳重に封鎖されている。
 定期巡回の要請を受けて、僕とユアンはダウンタウンへと車を走らせていた。
「君の家は、この辺り?」
 僕はふと、彼の出身地を思い出し、問いかけた。
「この辺りは工業地区だよ。僕の家はもっと南のほう」
 会話の合間にも、ユアンは迷いなくハンドルを捌き、狭い路地のコーナーを軽やかに抜けていく。
 この時代に、わざわざ手動運転〈ダイレクト・モード〉を選ぶなんて、やっぱり変わった人間だ。後部座席に座る僕は、そんなことを考えながら、バックミラーに映る彼の澄んだ蒼い瞳を見ていた。

 施設に着くと、作業員の男が僕たちを丁寧に出迎えた。
 「お待ちしていました」
 このセンターの制御システムは四階にあり、三階までは昇降機が使える。だが、そこから先は狭い階段を上るしかない。通路は狭く、腰ほどの高さしかない手すり、心許ない。
「足元に気を付けてください」
 作業員が先に立ち、僕たちを案内した。
「はじめて来たけど、なかなかすごいところだね。……気を付けて、マザー」
 耳元でささやくユアンに、僕は涼しい顔で返す。
「僕は何度も来てる。君こそ、気を付けなよ」
 軽口を交わしながら、僕たちは制御室へと続く通路を進んでいった。
 錆びついた鉄の扉の前で、作業員が立ち止まる。そこが制御室の入り口だ。彼は無言で一歩引き、僕たちに道を譲った。
「ここで待っていて。終わったら声を掛ける」
 そう告げて、僕は扉に手をかけた。
 重い金属の音を立てて押し開けると、ユアンは黙って僕の後ろに続く。通りざま、彼は作業員に軽く会釈したあと、静かに室内に足を踏み入れた。

 制御室に入ると、ユアンは狭い室内をぐるりと一周し、口元に手を当てながら興味深げに機器を眺めていた。独り言をぶつぶつと呟き、すっかり自分の世界に入り込んでいる。
「……そろそろ初めていいかい?」
 現実に引き戻すように声を掛けると、我に返ったユアンは照れくさそうに頭を掻いた。
「ご、ごめん……つい」
 こんなやり取りも、もうすっかり慣れたものだ。
 僕が彼を認めてから、ユアンの中に少しずつ余裕が生まれてきたらしい。彼にとって初めての施設を訪れるたび、まるで博物館にでも来たかのように設備を見て回る。その表情は、真剣そのものだ。
「ここのシステムは、かなり古いみたいだけど?」
「古いものほど、人の手に余るようになる。人は常に新しいものを求めるからね」
 なるほど、と納得したようにユアンは小さく頷く。
「さて、いい加減始めよう。外に人を待たせていることだしね」
 本来ならエア・インターフェースを使う場面だが、この制御室のシステムは古すぎて、最新の技術に対応していない。壁際に所狭しと並んだ制御パネルとモニターを、僕はひとつひとつ手で操作していく。
「ここでは、君の出番はないかな。見てるだけでいいよ」
 少し意地悪く言うと、ユアンはわずかに不満げな顔を見せた。そしてそのまま、いつもと違う“原始的”な操作を、じっと真剣なまなざしで見つめていた。

 メンテナンス開始から約三時間が経過した。
 分かってはいたけれど、やっぱり旧式のシステムは時間がかかる。ユアンのサポートがない分、作業はより一層長く感じられた。
「最適化完了……システム、オールクリア。――終わったよ」
 操作パネルから手を離し、ユアンのほうへと体を向ける。作業中、僕の手元から視線を逸らさなかった彼も、同時にこちらを見返した。
「おつかれさま。問題は?」
「もちろんない。僕を誰だと思ってるんだい?」
 僕の応えに、ユアンはふっと笑みを浮かべる。
 そして、大きく背伸びをし、体をほぐすように腕を回した。長時間同じ姿勢を続けていれば、体がこわばる。人間とは、そういうものらしい。
 外で待たせていた作業員に、メンテナンス完了の報告を済ませ、僕たちは来た道を引き返す。
 ――その途中だった。唐突に、何かが僕を襲った。
「――?」
 脚が止まり、腕が動かない。
 視界の内側を、ノイズが奔る。
 誰かの叫び声が聞こえる。けれど、その意味が理解できない。
 体が、自分のものではなくなったような感覚――いや、その感覚すら曖昧だ。
 思考は無機質な文字列に呑み込まれ、明滅するノイズの海に沈む。
 再び意識が浮上した瞬間、視界に飛び込んできたのは――
 手すりの外へと落ちていく、ユアンの姿だった。

 目を覚ますと、真っ白な天井が見えた。ぼんやりとした思考が輪郭を取り戻し、自分がベッドの上にいることに気づく。
「ここは……病室……?」
 どうしてこんなところにいるのか、靄のかかった記憶の中を探った。
 僕は、マザーと廃棄再生処理センターにいたはずだ。メンテナンスのために。その作業も終わって、帰る途中――
「あ……」
 そうだ、あの時。マザーが急に立ち止まって――いや、“フリーズ”したんだ。そのまま、手すりのほうへ傾いて。その体を引き寄せようとした反動で――
「ああ、落ちたのか」
 三階から。……それは、無事では済まない。と、奇妙なほど冷静な自分に少し驚く。
 不意に扉がノックされ、誰かが入ってくる気配がした。
「ユアン。目を覚ましましたか」
「室長?」
 気配の正体はリサだった。彼女は手提げのバッグをベッド脇のチェストに置き、水筒、洋服、ブラシなどを取り出す。
「入院に必要なものを持ってきました。あとで確認してください」
「入院……」
 その言葉で初めて、自分の右足が包帯で大げさに巻かれていることに気づいた。
「わあ」
 思わず、間の抜けた声が漏れる。そんな僕の様子を見て、リサは遠慮がちに問いかけた。
「……何があったか、覚えていますか?」
 僕は、ついさっき呼び起こしたばかりの記憶を、彼女に伝える。
「おおむね、現地の作業員の方が仰っていたとおりですね」
 幸いにも、落ちた先の廃材がクッションになり、命に別状はなかったものの、右足を骨折していたとリサは補足した。
「あの……マザーは?」
「安心してください。マザーのシステムは問題なく復旧しています。ただ――落下した貴方を見て、そうとうショックを受けたようです」
 現在はラボで緊急メンテナンスを受けている、とリサは付け加えた。守ったつもりが、かえって負担をかけてしまったんだろうか。僕は、自分を少し情けなく感じた。
「私は一度セントラルへ戻ります。マザーが貴方への面会を希望するかもしれませんし」
「分かりました。すみません、ご迷惑をおかけして」
扉へ歩き出したリサは、ふと足を止めて振り返る。
「ユアン。マザーを守るのも大切なことですが、貴方の代わりもいないのですよ」
 きょとんとする僕に、彼女はほんの少し目を細め、続けた。
「――というのは、ヘレンからの言伝です。そして、これは私から。決して迷惑ではありません。でも、あまり心配をさせないでください」
 言い終えると、リサは小さく会釈し、扉の外へ姿を消した。彼女たちのあたたかな心遣いに、少しだけ、目頭が熱くなるのを感じた。

 その夜、ベッドで微睡んでいると――ふと、傍らに気配を感じた。それからは人のような呼吸や熱も感じなかった。うっすらと目を開けると、窓から差し込む月明りに照らされ、青灰色の髪が煌めくのが見えた。
「……マザー?」
 その問いかけに応えずに、それは立ち尽くしたまま動かない。
 僕は、少し考えて言葉を選ぶ。
「……心配かけて、ごめんね?」
「――っ。ほんと……だよ」
 ようやく口を開いた彼の顔は、まるで泣き出す寸前の子供のようだった。
「君は馬鹿だ。あんなことをして……僕のボディも人格も、替えなんていくらでも利く。でも、君は――」
 死んだら終わりだ――。
 消え入りそうな声だった。
 途切れ途切れに言葉を紡ぐ、こんなマザーは初めて見た。
「あの時、落ちた先で倒れた君を見た瞬間、システムに大きな負荷がかかった。これは僕にとって、とても危険なものだ」
 彼の言葉に耳を傾ける。取りこぼさないように。しっかりと。
「心配させるな、僕に……!」
 マザーらしい機械的な道理。けれど、そこには隠し切れない感情が見える。冷たい器の奥で燃えるような熱に、僕は胸を打たれた。
 でも、ひとつだけ納得がいかない。
「替えが利くなんて、言わないで」
 エリウも、マザーも――
「君は、君だけなんだから」
 
 
 その後、三日間の入院生活を終えた僕は、セントラル・エリウズに戻った。
 けれど、右足はまだ完治していない。しばらくはオペレーターの業務を担当し、監視人は一時的にリサが代理で務めることになった。
 あれからマザーは、ほんの少し――いや、むしろ過保護なくらいに、僕に優しくなった。
 ひとりの時間が多くなった僕は、より一層技術の向上にまい進した。この足が治ったら、今まで以上に彼の力になりたい――そう、心から思った。