#007: Negotiation

Novel1

「……ちょっとまって、マザー。僕に考えがある」
 マザーは、崩壊したノーアから逃れてきた彼らを上層部へ引き渡すと判断した。それに、ユアンは異を唱えた。
 感情的になるのを避け、マザーが納得するよう言葉を選ぶ。
「今までの話だと分からないことが多すぎる。もうすこし、話を聞き出した方が良いと思う」
 ユアンは一つひとつ、疑問をマザーに共有した。
 都市の防衛を担うはずの〈マザー〉が、なぜ崩壊に関与した人物と行動を共にしているのか。
 崩壊した都市から、どうやって逃げ延びることができたのか。
 「されてきた」こととは何なのか。“俺たち”と表現したことも気にかかる。
「答え次第では……僕は二人を、助けようと思う」
「――っ」
「マザー、もう一度話をしよう。こっちが主導権を握って、答えを聞き出すんだ」
 ユアンが口にした疑問は、マザーも内心で感じていたものだった。だが、受け入れがたい彼らの話は、マザーの思考を揺るがし、冷静な判断を曇らせた。彼らを助けることには同意しかねるが、謎を探ることに異論はない。
「ここは、僕に任せて」
 これまでにないほど、真剣なまなざしだった。
 マザーは彼の提案を受け入れ、静かにうなずいた。

 対する二人も話を終えたようだ。男は部屋の隅へ移動し、壁を背にゆっくりと腰を下ろす。
 少女は静かに歩み寄り、そのまなざしをユアンに向けた。
「さっきはごめんなさい。あの子の言うことは、気にしないでちょうだい」
 まるで子供の過ちを謝罪するように少女は話す。
「構わないよ、それよりまず……君の名前を聞かせてほしい。僕は――」
「知っているわ、ユアン。エリウズのマザーの監視人」
 少女はユアンのプロフィールを細かに語りだした。彼のIDを特定した際にその情報を閲覧したのだという。
「私のことは、ディアと呼んでちょうだい。あの子はジル」
 ディアは部屋の隅で座り込んでいる彼、ジルに目をやる。深く項垂れ、顔は見えないが、眠っているようだった。その様子を確認すると、すぐに視線を戻した。
「ディア、できることなら、君たちを助けたい。――でも、まだ君たちを信用することはできない」
 ユアンは諭すように、ゆっくりと真摯にディアに語り掛ける。
「いくつか質問させてほしい」
「……わかったわ」
 ユアンの真っ直ぐな瞳に射抜かれ、ディアは静かに頷いた。

 ユアンが質問をいくつか提示すると、ディアは順を追って説明した。
 まずは、ノーアを崩壊させるという凶行に及んだ動機から語り始めた。
「ノーアの文明の衰退は知ってるかしら? その原因は愚かな人間の怠惰と欲よ。セントラル・ノーアは技術力を独占し、金を積んだものにだけその恩恵を与えたの。その結果、激しい貧富格差をもたらしたわ。」
 こんな都市に、果たして価値はあるのか――ディアは長く自問していた。ジルと出会ったのは、ちょうどその頃だ。
「あの子は、この歪んだ社会の被害者だった。……私は、ジルを護りたいと思ったの」
 表情の乏しい瞳の中に、かすかに母の慈愛が揺れている。
 「ジルは終わりを望み、私はそれに協力した。私が方法を彼に伝え、あの子が実行に移した」
 そして――結果、ノーアは滅びた。
 なぜ〈マザー〉であるディアにそんなことができたのか、という問いには「わからない」とだけ答えた。

 次に、どのようにして逃げ延びてきたのか――その方法について。
「ホームから命令プログラムをあらかじめ取得しておいたの。それを使って、特定IDの廃棄マトンに私たちを攻撃対象から除外するように命じたわ」
 そして、瘴気の対策には、あらかじめジルに防毒マスクを盗ませていた。彼にそれを使用させ、地下から脱出したのだ。

 最後に、ジルの口にした「俺たちが何をされてきたか」という言葉の意味――
 しばし思案したのち、答えを言いよどむ。
「……それについては、聞かない方がいいわ。貴方のような純粋な子は、特に」
 
 ディアが回答を終えると、ユアンは口元に手を添え考える。
 その隣でマザーは、じっと彼の決断を待っていた。
 やがてユアンは手を下ろし、ディアを見つめた。
「ディア、その“命令プログラム”ってまだある? それと、廃棄マトンのID」
「ええ」
 ディアの短い返事に、ユアンは「よし」と頷いた。
「こうしよう。君の持ってるプログラムとID、それをマザーに渡してほしい。引き換えに、僕は君たちの安全を保証する」
「――っ、ユアン!」
 マザーはユアンの肩を引っ掴んだ。その顔には怒気が滲んでいる。
「君はっ……自分が何を言ってるのか――」
「分かってるよ。でも、僕は都市を守るためならなんだってする。すぐ隣で都市がひとつ死んだんだ。エリウズが、いつかそうなるとも限らない」
 肩を掴むマザーの手に、ユアンは自らの手をそっと添える。
 その瞳はかたくなで、迷いはない。
 そしてそのまま、ディアに視線を向けた。
「君たちに、エリウズに対する敵意はある?」
 あまりにもストレートな問いだった。だが、ディアは即答する。
「ないわ。私はただ、ジルを安全な場所に連れていきたいだけ」
 その答えにユアンは安堵する。安全を確保したいのなら、逃げ込んだこの都市に危険が及ぶことを彼女たちが望むはずがない。
「〈マザー〉は嘘を吐かない、よね?」
 ユアンが微笑みながらマザーにそう問うと、彼は閉口した。
 システム上、〈マザー〉は故意に嘘を吐くことができない。彼女が敵対する意思を持っていない証拠だった。
「それで、どうかな? 悪い条件じゃないと思うんだけど……」
「構わないわ。けれど、私が持ってるデータを渡すのは、安全が確認できてから――これだけは譲れない」
 ユアンは短く了承すると、すぐ隣で不服を顔に張り付けたマザーに目を向けた。
「マザーもいいね?」
「……僕は知らない。勝手にすれば」
 そっぽを向いて、言い捨てる。完全にへそを曲げてしまったようだ。
 だが、否定はしなかった。
「それじゃあ、すぐに場所を移動しよう」
 話がまとまったはいいが、地下に潜ってから、結構な時間が経っていた。地上では特務室の仲間たちが心配しているかもしれない。
 ユアンはすぐさま来た道を引き返そうとする。
 それを、ディアが引き留めた。
「まって、貴方たちが使った昇降機はどの辺りにあったもの?」
 彼女の問いに、ユアンはマップを呼び出し、その場所を指で示した。
「ここはだめ。ついてきて、私が案内する」
 有無を言わさず、ディアは行動を始めた。
 
 座り込んで眠っていたジルを起こし、通路を先導する。
 まっすぐ伸びる地下空間の途中、不意にディアは立ち止まった。
白い指先で壁を探った瞬間、何もなかった壁に操作パネルが浮かび上がった。ディアがそれを操作すると、すぐ脇に扉が浮かび上がる。
「隠し扉よ」
 それを見たマザーが、思わず声を上げた。
「どうして君が、こんなものを知っているんだ!?」
「ノーアから脱出する前に、ホームのデータベースから情報を拝借したわ」
 悪びれる様子もなく、むしろ当然のように彼女は答えた。その態度に憤るマザーを、ユアンは宥めるように制した。
 緩やかに曲線を描く一本道を、四人は進んでいく。ふと、ディアが口を開いた。
「貴方のことは、なんて呼べばいいかしら?」
 問われたマザーは答えない。ディアはその横を歩くユアンに目を向けた。
「僕たちは、マザーって呼んでるけど……」
 すると彼女は少し間をおいて、言葉を発した。
「……なら、“シオン”と呼ばせてもらうわ」
「は?勝手に命名しないでくれる?」
「なら何か希望はある?ないでしょう。私も〈マザー〉なのに、貴方をマザーと呼ぶのは変だわ。ELYSIUMのシオン、悪くないでしょう」
 感情が欠落したような抑揚のない声でまくしたてられ、マザーは閉口する。
 その見た目と熱のない声に反して、彼女は案外口数が多いらしい。
「決まりね、シオン」
「……好きにすれば」
 観念したかのように、マザー改め――シオンは言葉を吐いた。
 そんな彼らを眺めていたユアンはその様子を、どこか微笑ましいと感じていた。