この日、特務室のオフィスにはリサとユアン――
そして、いつもは倉庫に引きこもっているビリーが、珍しく顔を出していた。
ノーアの崩壊が知らされた夜。
リサは、とっくに所定の労働時間を越えていたヘレンを家に帰すと、残るメンバーで今後の対応について協議した。
ユアンは、彼らの身の安全を保証する手段として、自らの実家に匿うことを提案する。
母も祖父も大らかな人柄で、「友人を居候させてほしい」と言えば、きっと喜んで受け入れてくれるだろうと語った。
またユアンは、翌日がマザー、シオンの定期メンテナンス日であることも考慮していた。
メンテナンス中は監視人の自由行動が認められる。その間にダウンタウンの立入禁止区域で待機している二人を、実家へと案内できる――そう見込んでの提案だった。
しかしリサは、その案に待ったをかける。
ユアンの実家が本当に彼らを受け入れてくれるかどうかは、ユアンの言葉を信じるしかない。何より問題なのは、案内役がユアンひとりであることだと彼女は指摘する。
いくらメンテナンスの最中とはいえ、監視人がマザーから離れるうえに、上官である自分まで職務を空けるわけにはいかない。
彼らの移送をユアンひとりに任せるのは、万一の際に対応しきれない危険がある。
ディアは「エリウズに敵意はない」と語り、マザーは嘘を吐かないという理屈もわかる。だが、彼女と共にいる彼が、同じ意思を持っているとは限らない。
万が一があった時、ユアンひとりでは心許ない――。
そう判断したリサが白羽の矢を立てたのが、ビリーだった。
ビリーは最初こそ全力で拒否していたが、リサに理詰めで押し切られ、渋々ユアンに同行することを了承したのだった。
そして、一夜明けた今。シオンとヘレンを除く三人がオフィスに集まり、出立の時間を迎えていた。
「万一が無いことを祈りますが……もしもの時は、よろしくお願いしますね。ビリー」
「……わ、わかった。あんまり、期待はしないでほしいが……」
念を押すリサのまなざしに、ビリーは背中を丸く縮めたまま頼りなく応えた。
その態度に、かすかに眉をしかめて短く息を吐くと、続いてユアンに向き直る。
「それとユアン。貴方の判断、私は悪くないと思っていますよ。こちらのことは私に任せてください」
最後に、「気を付けて」と、添えた。ユアンはその言葉に背筋を伸ばし、迷いなく応じる。その声にはわずかな力強さが混じっていた。
ディアたちの元へ向かう道中。車を走らせながら、ユアンは助手席に座るビリーに語り掛けた。
「すみません……先輩は人前に出るの、苦手なのに」
「ま、まあ……大丈夫だよ。……特務室に来てから、だいぶマシになったほうさ」
申し訳なく気を配るユアンに、ビリーはゆっくりと応える。
「……君は、ヴァリオン重工業って知ってるか?」
「もちろん!技術開発の最先端を行く企業ですよね」
わかりやすくテンションを上げ、応じる声が跳ねた。
小さな電子機器から大型複合施設まで、ユアンはその最先端技術に常日頃から興味をそそられていた。
「……その企業。俺が跡を継ぐ、はずだったんだ」
「そうだったんですか――……ん?」
ハンドルを操作しながら片手間にビリーの話を聞いていたユアンは、一瞬理解が遅れた。
交差点を右折しながら、彼の告白を脳裏で繰り返す。一泊置いて、ようやくその意味が呑み込めた。
「ええ!?先輩が、跡継ぎ……?」
「……やっぱり、気づいてなかったか」
ユアンの反応にビリーは思わず苦笑を漏らした。
「だ、大体の人は、“ハーヴェイ”って聞いただけで、気づくんだけどな……」
「すみません、僕……経営者とかあんまり興味なくって」
率直なその言葉は彼の本心だろうと、ビリーは疑わなかった。
若くして生家を離れ、堂々と自分の好きなもの、信じるもののために情熱を注いでいる。
そんなユアンを見ていると、名前に縛られていた自分が、だんだん馬鹿らしく思えてきた。
「……俺が、人を苦手になったのは、その……跡継ぎのプレッシャーに、負けたからで……」
若い後輩に話すことではないかもしれないと恥じつつ、ビリーは途切れ途切れに言葉を続けた。
「でも……君を見てたら……俺にもまだ、できることがあるんじゃないかと。この歳になって、今更なんだが……」
ビリーは、俯きながら再び苦笑した。そんな彼の葛藤を肌で感じ、ユアンは応えた。
「先輩には、今までも、今も、ずっと助けてもらってます。だから、大丈夫ですよ」
その慰めのような言葉に、年甲斐もなく目頭が熱くなった。ビリーは堪らず、そっと窓へと顔を逸らす。
けれど、重たく沈んでいた心の一部が、少しずつ晴れていくのを感じていた。
やがて、二人はダウンタウン南部へとたどり着いた。立入禁止区域までの道は狭く、入り組んでいて、ユアンの運転技術をもってしても通り抜けるのは難しい。車をパーキングに停めると、二人は更に南へと歩き出す。
数十分後、ようやく約束の場所が見えてきた。張り巡らされたフェンスをくぐると、純白のケープに身を包んだ少女がユアンたちを出迎えた。
「おまたせ、ディア」
「想定より早いぐらいよ。……彼は?」
ユアンの背に隠れたつもりのビリーだったが、体格差のせいでまるで無意味だった。案の定、ディアの視線が彼をとらえた。
「彼は、僕が所属する特務室の先輩で――」
「ど、どうも……」
びくりと肩を震わせ、ぎこちない態度を見せる本人に代わって「ビリーさんです」とユアンがとっさに紹介を添える。
誰にも言わない、という約束を破ってしまったことについてユアンが詫びると、ディアは「構わないわ」と短く返した。
そして彼女は、くるりと踵を返し、壁の隙間へと歩み寄る。そこには、黒い外套をまとった男がぐったりと横たわっていた。
ビリーはその姿を見てぎょっとする。瞳を閉じたその顔は、まるで死んでいるかのように土気色をしていた。
「ジル、起きて。ユアンが来たわ」
ディアの呼びかけると、ジルは重たげに瞼を持ち上げ、体を起こす。頭を数回左右に振り、ディアの手に引かれてゆっくりと立ち上がった。
その様子を見て、ビリーは小さく安堵の息を吐いた。
「……誰だ、てめえ」
不意に、不機嫌さを隠そうともしないジルの声に、ビリーは「ひっ」と短い悲鳴を上げた。
ディアが軽く紹介すると、ジルは「ふん」と鼻を鳴らし、興味を失ったように視線を逸らした。
しばしの沈黙が流れる――すると、少し離れた場所で通話をしていたユアンが戻ってきた。
「母さんに連絡してきました。ここから多分、四十分ぐらいです。……そろそろ出発してもいいかな?」
問われたディアは、静かにうなずく。そしてユアンを先頭に、一行は彼の生家へと続く道を歩き出した。
「おい、そこのでかいの」
ふと、ビリーの数歩斜め前を歩いていたジルが立ち止まり、声を掛けた。ビリーは肩をすくめ、思わず身を縮める。
「お……俺か?」
他に該当者などいないことは分かっていた。それでも、一瞬だけ“違う誰か”を期待してしまった。その期待を砕くように、振り返ったジルの目はしっかりとビリーを睨んでいた。
「あんたは、俺の後ろに立つんじゃねえ」
「は、はい……」
吐き捨てるような言葉に、ビリーは情けなく応じることしかできなかった。
言うだけ言うと、ジルはそのままふらふらと歩き出した。
ビリーは呆然と立ち尽くし、半ば涙目になっている――と、その肩を細い指先がそっと叩いた。ディアが見上げるようにビリーを見つめていた。
「ジルのこと、悪く思わないでちょうだい。あの子は臆病なだけなの」
「お……臆病……?」
彼が……?
不良じみた横柄な態度の彼を“臆病と言うディアに、ビリーは戸惑いを隠せなかった。ビリーの戸惑いなど意に介さず、ディアは続けた。
「そうよ、臆病だから虚勢を張るの。あとは純粋に、貴方のため」
――俺のため? 彼女の言っている意味がまるで分からなかった。
深く聞き出す前に、彼の怒号が飛んでくる。
「おいディア!余計なことしゃべってんじゃねえ。さっさと来い!」
ディアはジルの元へ駆け寄ると、その声の大きさを諫めるように言葉をかけている。
結局、彼女の言葉の真意は分からないまま。
だが、奇妙にも彼の瞳が脳裏に焼き付いて離れなかった。
睨みつけてきた目には、全てを諦めたような空虚さが宿っていた。まるで――いや。
これ以上、彼に関わるのはやめておこう。――そう、ビリーは自分に言い聞かせるように、思考を断ち切った。
