セントラル・エリウズ、居住エリアの通路。
リサに部屋までの案内を受ける道中、ディアは黙ったままのジルに声を掛けた。
「ジル、もう喋っても大丈夫よ」
「……」
そう言われ、ジルはしばし考えるが言葉が浮かばず目が泳ぐ。
その代わり――という訳ではないが、沈黙の間にリサが疑問をねじ込んだ。
「どういうことです?」
「尋問の前に、ジルには決して口を出さないように言っていたの」
ジルは口を開けば余計なことを言いかねない。場を荒らされないように、彼の口出しをディアが事前に固く禁じていたのだ。
ディアは尋問の間だけのつもりだったのだが、ジルは今の今まで守っていたらしい。
「では、体調の件は……」
「あれは、本当よ。今朝だけじゃない……怪我のこともあったけれど、エリウズに来てから調子が悪いの」
見上げてくるディアの目線から逃れるように、ジルは首をそっぽ向かせた。
ジルの不調の原因は体の問題ではない、精神的な負荷によるものだとディアは感じていた。
――あの日、ジルが逃げ遅れた子供を探しにシェルターを飛び出したとき、彼が言っていた言葉が脳裏に浮かぶ。
『……俺には、こんなことぐらいでしか償えない』
彼を生かすために植え付けた誤った認識が、罪悪感が、ジルを追い詰めた結果――彼の命を危険にさらしてしまった。これでは本末転倒だ。
足を止め、じっと虚空を見つめたまま考え込んでいるディアを案じるように、リサはそっと声を掛けた。
「我々は――少なくともこのエリウズでは、マザーという存在を理解している方だと自負しています」
技術的な事だけではない、マザーの人格は人のように喜怒哀楽を有し、悩むこともある。それが、システムの負荷に繋がることも――。
リサは続けた。
「頼ってください。誰でもいいです……ユアンや私はもちろん。ヘレンでも、ビリーでも……特務室は決して貴方がたを見捨てはしません」
真っ直ぐ手を差し伸べるようなその言葉に、まるで水中に沈んだ心が掬われたかのように、体が軽くなるのをディアは感じた。
「……ありがとう」
怪しさしかなかった自分たちを最初に信じてくれたユアン。ジルの異変に気付き、その後も見守ってくれたビリー。そして、今も手を差し伸べてくれるリサ。
仲間とは、友とはこういうものなのね――言葉と意味は理解していても、いざ実感するとこんなに暖かなものなのかとディアは新たな気付きを得ていた。
翌朝、リサから受け取っていたセントラル構内のマップを頼りに、ディアはメンテナンスを受けにジルと共に技術センターに訪れる。そこには、ユアンとシオンの姿もあった。
「おはよう、二人とも」
ディアとジルに気づいたユアンが声を掛けると、ディアは軽く挨拶を返す。
シオンは一足先に、部屋の奥でメンテナンスを受けているようだ。メンテナンス用の椅子の背もたれ越しに、青灰色の髪が見え隠れしていた。
その脇に立っていた、白衣の技術者がこちらに駆け寄ってきた。
「やあやあ、君がノーアから来たって言うマザーだね」
癖の強い髪と頭に乗せたゴーグルが特徴的な彼は「話は聞いてるよ」としゃべりながら、シオンが据わる椅子と同じものをディアの目の前に移動させた。
「ボクはザック。ここではマザーのメンテナンスを担当してる。どうぞ座って」
ザックに促されるまま、ディアは椅子に深く腰を掛けた。
「どのぐらいかかるのかしら?」
「マザーと並行作業なうえに、君の中身は初めて見るからね。――丸一日はかかるかな」
その返答を聞いたディアは、所狭しと並べられた機材に落ち着かない様子のジルを見た。周囲にも目を向けると、彼が機材に手を出さないように技術員達が目を光らせている。
メンテナンスが終わるまで彼を一日中、ここにいさせるのは難しいと判断したディアは、ジルに呼びかけた。
「ジル。特務室のオフィスに、ビリーの部屋があると聞いたわ。彼のところで待っていて。終わったら迎えに行くわ」
「……ビリー?」
名前ではピンとこないようだ。「貴方がいつも世話になっている彼よ」とディアが言うと、ジルは顔と名前が一致したらしく「ああ」と短く応えた。
「僕も室長に呼ばれてて出ないといけないから、ついでに送って行くよ」
まだ道も覚えていないだろうからと、ユアンが案内役を引き受け、二人は技術センターを後にした。
「あれから、体の調子はどう?」
「生活に困ったことはない?」
特務室のオフィスに向かう途中、ユアンは何度かジルとの対話を試みるが、彼は口を噤んだまま返事をしない。
思いつく話題も尽き、静寂の中を歩き進めていると――
「……あ、そういえば」
ユアンがふと思い出したように声を上げた。
「母さんと爺ちゃんが、またいつでもおいでって言ってたよ」
すると、ジルが足を止めた。だがその目は足元に向けたままユアンを見ない。
やがて彼は口を開いた。
「……今の俺たちに、そんな自由はねえだろ」
「そうでもないと思うよ。確かに自由ではないかもしれないけど、監視の目……つまり、特務室の誰かと一緒なら外に出ても問題ないんじゃないかな」
外出の許可さえ取れれば、いつでも連れていけるとユアンは驚くほど簡単に言ってのけた。
ジルは思わず顔を上げたが、ユアンの目を見るとすぐに顔を逸らした。自分とは正反対――希望に満ちて汚れのない、ユアンの蒼く澄んだ瞳がジルは苦手だった。
「……なんで、お前らは……そんな」
ジルの心の奥で靄が渦巻いていく。喉の奥を大きな石が塞いでいるかのように言葉を抑え込み、息が詰まった。
その隙間からにじみ出るように、感情が零れだす。
「……迷惑を、かけた……のに……」
「……迷惑だなんて思ってないよ。僕も、みんなも」
最初はだれでも戸惑うだろう、けれど困っている人を放っておけないのがゴート家の人間だ。
それに、迷惑どころか母はディアのことを、娘ができたようだと喜んでいた。
ジルのことも、逃げ遅れた子供をたった一人で助けに行ってくれた恩人だ。感謝こそすれ、迷惑などと思う人間はダウンタウンのどこにもいない。
ユアンは言葉を尽くしたが、ジルはまだ浮かない顔で俯いている。
――しかたない……人の意識はそんなに早く変わるものじゃない。
ユアンはそれ以上話をすることはなく、オフィスに着くとビリーを無線で呼び出し後を託した。
