「明日の夜、来られるかい?」
エリウがそう言い出したのは、僕たちの会合が欠かせない日常になった頃だった。いつの間にか、業務の合間だけでなく、休日にも僕は彼のもとを訪れるようになっていた。
「夜に?」
「そう、夜に。キミに見せたいものがあるんだ」
顔を合わせるのはいつも空が明るい時間帯で。夜に呼ばれるのは初めてのことだった。ふと、彼の監視人であるリサの顔が脳裏をよぎる。だけど、僕の懸念もエリウにはお見通しだったらしい。
「リサには話をつけてあるから、安心して」
それなら――と、僕は彼の誘いを受け入れた。
「話をしよう」はエリウの口癖だった。でも、「見せたいものがある」と言われたのは初めてで、僕は胸を躍らせながら、翌日の夜を待った。
翌日、約束の時刻。エントランスで出迎えてくれたエリウに導かれ、セントラル・エリウズの屋上へと向かう。そこに広がっていたのは満天の星空だった。
「すごい……星空って、こんなに綺麗なんだ」
「でしょ?ここは特等席なんだ」
得意げなエリウは僕をベンチへ座らせ、自身も隣に腰を下ろす。
「見せたいものって、この星空のこと?」
「そうとも言えるけど、正確には――10分35秒後の空かな」
急に飛び出した具体的な数字に、僕は思わず目を見開いた。
「流れ星に願いごとをすると、叶うって聞いたことはない?」
「聞いたことはあるけど。まさか見せたいものって――」
「そのとおり」
エリウは柔らかく笑った。
セントラル・エリウズは遮蔽都市。上空はドーム状の壁に覆われていて、空には過去に記録された外界の映像が投影されている。
彼の話によれば――この夜、北西の空に流れる星の記録があり、肉眼でもはっきり見えるという。
でもそれって――。
「……ズルくない?」
普通の人間、ましてや僕のような下町育ちの一般市民に、そんな投影スケジュールが知らされるはずもない。でも、マザーであるエリウは全ての記録とスケジュールにアクセスできる。いつ、どの方角に星が流れるかを知ることなど、彼にとっては造作もない。願い事し放題、というわけだ。
「それもマザーの特権ということで。――まだ少し時間があるし、星空をバックに写真でも撮ろうか」
と、涼しい顔のエリウは、僕の肩に左手を回し、ホログラムモニターからカメラを起動した。
「撮るよ」
シャッター音が響く。モニターには、星空の下で肩を並べた僕たちの姿が映った。そこに写る僕は、自分でも驚くほど照れくさそうに笑っていた。
「ユアンのIDにも転送しておくね」
僕は、その唯一無二の思い出をすぐさまロックした。
決して、失くしてしまわないように。
「ユアン、そろそろ時間だよ――よく見てて」
北西の空に伸ばされた彼の指の先に、僕は視線を向けた。エリウはその一瞬に向かって、カウントダウンを始める。
……5……4……3……2……1
――星が流れた。
光の線を描いた流星は、一瞬で夜空に溶けた。けれど、僕の脳裏には永遠のように焼き付いた。
そっと隣に座るエリウをうかがう。流星はもう消えていたけれど、彼はまぶたを閉じたまま、静かに願いを捧げていた。
不意に、ガラス玉のようなその瞳が開かれる。僕は見ていなかったふりをして、慌てて言葉を紡いだ。
「エリウは、何を願ったの?」
少しだけ迷ったような間の後、彼は答えた。
「キミの――幸せを」
あまりに想定外の答えに、僕は目を見開く。
「えっ!?なんで僕? 自分のことを願えばいいのに」
「ボクはマザーだよ、やるべきことは決まっている。願いに託すようなものじゃない。……でも」
エリウの瞳が憂いを帯びていく。そして、ゆっくりと言葉を続けた。
「キミ個人のために、ボクは動くことができない。だから、願うんだ」
その一言に、僕は言葉を失った。プログラムされた『役割』と、人格に宿る『心』の間で、彼もまた揺れているのかもしれない。流星に願うなんて、非科学的で頼りない。――けれど、そんなものに縋りたくなるほど、彼の願いは切実で。しかも、それが僕のための祈りだったと知って、胸の奥が締め付けられた。
「ところで――キミのほうこそ、どんな願い事をしたんだい?」
気が付けばエリウは、いつもの調子に戻っていた。興味津々な顔で、身を乗り出してくる。
「ぼ……僕のことはいいだろ」
「よくないよ。ボクの願いは聞いておいて、自分のは隠すなんて、フェアじゃない」
こうなると彼は、絶対に引かない。
仕方なく僕は答える決意をしたが、あまりの近さに思わず声を上げた。
「わ、わかった!答えるから、いったん離れて!」
ベンチから落ちそうな勢いで詰め寄られ、僕は観念する。答えを待つ彼は、まるで無邪気な子供のようだった。
「――君の願いが、叶いますようにって……」
「――ふっ……ふふっ」
恥ずかしさに耳まで熱くなる。そんな僕を見て、エリウは堪えきれず笑い声を上げた。
「あははっ!なんだいそれ、キミも人のこと言えないじゃないか」
「し、仕方ないだろ!とっさにそれしか思いつかなかったんだから!」
恥ずかしい。でも、まったくその通りで――つい、笑ってしまった。
そして、結果的に――エリウの願いを、僕の願いが後押しする形になっていた。
「……幸せになる義務ができちゃったな」
「二人分の願いだからね」
そんな軽口を交わしながら、僕たちは星空を目に焼き付ける。
流星はもう見えないけど、それでも。
いつまでも、エリウと一緒にいたい――
僕は心から、そう願った。
